研究者紹介

【ライフサイエンス】 (2011/01/25公開)

◇上出(うえで) 利光 教授 遺伝子病制御研究所

ライフワークとの出会いと大学発創薬ベンチャー

上出利光教授の研究対象は、生体組織に含まれる細胞以外の物質である細胞外マトリックス(コラーゲン、プロテオグリカン、ヒアルロン酸など)です。細胞外マトリックスに関連した疾患の発症メカニズム解明や、治療ターゲット分子、治療薬に関する研究を行っています。例えば、細胞外マトリックスの一種であるオステオポンチン(OPN)について、切断型OPNが細胞のα9 インテグリンに結合することで関節リウマチなどの自己免疫疾患を引き起こされることを発見されました。この発見から、OPN やα9インテグリンを認識する抗体が自己免疫疾患を治療する抗体医薬として利用可能であることが示され、実際に製薬企業で新薬として開発が進められています。

上出教授は研究シーズの実用化を目指した活動にも精力的に取り組んでおり、上述の抗体シーズの導出のほか、2001 年には大学発ベンチャーであるジーンテクノサイエンス株式会社を設立した経験をお持ちです。

上出教授の研究/産学連携に関する経験や思いを皆様にご紹介いたします。

蝶ネクタイの似合うある教師との出会い


1968年7月に旭川東校に復学し、翌春、何とか医学部に滑り込み、1975年に卒業した。時は、大学紛争の時代。大学には残らず、臨床医を目指して、市立札幌病院に脳神経外科医の専門医を夢見て就職した。大学出たての何の技術も持たない医師ではあったが、交通外傷、脳腫瘍、脳動脈瘤等、日々戦場の様な忙しさであった。特に悪性脳腫瘍に対しては、生検して組織診断が出るとそれで予后(手術や病気、創傷の回復時期やその見込み)が決まっていた。

手術療法、化学療法、放射線療法、全く手の施しようが無かった。まるで死亡診断書を書くために医師になったような日々が続いた。1年半が経とうとしていたある日、免疫療法と言う新しい治療法があるかもしれない事を知った。自分のリンパ球が、感染症の防御のみならず、自分の腫瘍を攻撃する。とても新鮮だった。迷うことなく大学にもどる決心をした。

同期のアドバイスで、免疫学の権威である菊地浩吉教授(後の札幌医大学長)の主宰する札幌医大病理学第一講座に入局した。直ぐに総合病院が出来るほど道内外から多くの医師が集まって、まさに朝から夜中の2時、3時まで、腫瘍免疫学の研究に明け暮れていた。教授は、教室を牧場に例えた。「自由に草をはんでよいが、向こうの草が旨いとは限らない。流行には囚われるな!」という戒めである。

僕のテーマは2つ、「血液(血管)中を流れている免疫細胞が、どのようなメカニズムで、血管壁を越え、腫瘍組織中へと移動していくのか?」「T 細胞は様々な分子を細胞表面に出しているが、その分子の機能を明らかにする」であった。全く別の研究テーマとしてスタートしたが、やがてT 細胞上に発現する分子のあるものは、炎症や腫瘍組織の血管内皮、あるいは、細胞を取り囲む細胞外マトリックスに対して接着する機能を有している事がわかってきた。これが免疫細胞が腫瘍組織内へ浸潤するメカニズム解析のきっかけとなった。

研究の厳しさを知らされ、そして黎明期の産学連携をみた


博士号取得後、米国東海岸にあるJohns Hopkins 大学の石坂公成教授の下に留学する機会を得た。アレルギー反応を媒介するIgE の発見者である。それまでに、後に東大教授、阪大総長になる多田富雄、岸本忠三博士らが薫陶を受けた先生である。留学して1 カ月が経ったある週末、エアコンが効いた快適な環境で、実験をしていた。

実は、コールドルームに石坂教授が籠っている事を知らなかった。IgE は多発性骨髄腫患者の血清から精製し、実験に使用していた。普通は、このような精製は、テクニシャンが行うのが通例だが石坂研では、IgE の精製だけは、教授自ら、電話や来客に邪魔されない週末に行っていた。決してここは、だれにも任せることはなかった。培養から初めて、数日かけて採取したT細胞由来生物活性物質のゲルろ過分画を終了した僕は、目的のサンプルが入っている数本の試験管を実験台に載せて、30分程昼食の為に実験室を空けた。

部屋はロックされ、適度にクーリングされており、コンタミを防ぐシーリングも済ませてあった。戻ってみると実験台の上からサンプルが消えていた。冷蔵庫や、コールドルームにサンプルは無く、何と実験室のごみ箱に試験官が入っていた。「活性物質の安定性を知らずして、実験台の上に放置したサンプルは、今後の実験に使用する価値は無い。そんなサンプルを使用した実験結果は害こそあれ何の益もない」。これが教授の無言の教えであった。丁度このころアメリカでは、大学発ベンチャーが出来つつあった。石坂先生の指導を受けたファカルティーの弟子の1 人が、シアトルでベンチャー(Immunex)を立ち上げた。NIH(アメリカ国立衛生研究所)のグラント申請とは異なる手法で、研究資金を調達し、ベンチャーと大学の研究室が、それぞれ独立して研究をしているが、時に成果、情報を共有し、相乗効果を上げ、活気にあふれていた。それから20 数年後、イチロウがマリナーズの外野の守備に着くときにフェンスにそのベンチャーの名前が刻まれていたことを思い出している。小生と同時期に石坂研で苦楽を共にした研究者が、Genentech の免疫部門のヘッドに転出し、10 年の間に、大製薬会社に成長していった。ベンチからベッドサイドへ(基礎研究から臨床へ)研究成果が届いて行くその過程をまじかに見ることができた。彼ら、彼女らは、常に大学の研究者と情報交換を絶やさなかった。留学を終えて帰国して日本で見た製薬会社と大学研究者の、お付き合いとしての名目上の共同研究に幻滅した。

ライフワークとの出会いと大学発創薬ベンチャー


縁あって41 歳の時に、当時の免疫科学研究所、免疫病態部門に赴任した。腫瘍免疫で研究者人生をスタートしたが、北大では自己免疫疾患も研究対象とした。北大での研究により、大学院生時代に研究していた細胞外マトリックスは、腫瘍組織のみならず、免疫疾患の病巣で発現増強しており、ここでは種々のプロテアーゼが活性化されており、マトリックスが切断され、hidden immune epitope が露出し、これが新規の細胞結合部位を提供し、従来からその場所に存在する線維芽細胞や浸潤してくる炎症細胞上の分子(受容体)と結合し、サイトカイン等の産生を介して免疫反応を増強することが分かってきた。20年前北大に赴任した際、僕は、自然発症の自己免疫疾患のモデル動物として頻用されていたMRL/lpr マウスを用いた研究に着手した。Fas の構造遺伝子異常による自己反応性の免疫細胞死の異常が根本原因であることは未だ知られていなかった。各種サイトカインの産生増強があり、免疫細胞の異常増殖、活性化、自己抗体産生が週齢を経るにしたがって顕著になってくる。研究の結果、これらの異常に先行して細胞外マトリックスとして分類されていたオステオポンチン(OPN)が血中に増加していることを見出した。しかも分子量が半分の切断型OPN が著明に増加しており、この現象はヒト自己免疫疾患でも認められた。
 後年の研究により、切断されたOPN は、hidden immune epitope を露出し、これがα9integrin 受容体と結合する事で、免疫反応を異常に増強し、自己組織破壊を惹起していることが判明した。OPN のhidden immune epitope とα9 integrin 受容体は、治療標的であり、これらを認識する抗体が、自己免疫疾患の治療用抗体として開発されている。
 この過程で、大学発ベンチャーの創立を手掛けた。日本の某製薬会社からは、最終的に10 年におよぶ寄附研究部門のサポートをしていただいている。産学連携、特に創薬を目的にする産学連携は、極めて長い年月と多くの試行錯誤が必須である。企業も大学研究者も真剣勝負の関係を、10 年継続する覚悟が必要である。安易に大型資金を獲得する事を前提に産学連携はくむべきでないと考えている。大型研究資金は重要だが前提ではない。強烈な研究者の意思こそが必須の条件である。産も学も自前資金で10 年間、継続する覚悟がありますか? それがあって初めて、官からの支援が生きる。日本の大学発ベンチャー、特に創薬開発型ベンチャーは、今苦難の道を歩んでいる。99%がその存在意義すら疑われ
ていると言っても過言ではない。多くの原因がある。その一つは、経営陣と研究陣の意識の乖離であると思う。経営陣は、会社の存続、継続を優先する。研究開発途上のシーズを製薬会社に導出し、資金を獲得する事を成功と称する。シーズ導出による資金の流入は、研究者にとっては、なんらの成功でもない。大学発ベンチャーは大学発の研究シーズを市場に届けるために創立したのであって、それ以外に存在意義はない。それ以外の目的であ
れば、企業発、企業内ベンチャーでよい。残りの大学人としての人生を、価値観を共有する学生、スタッフと共に夢に懸ける。
Update 2017-09-14
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