研究者紹介

【環境】 (2013/02/25公開)

◇内田 努 准教授 大学院工学研究院 応用物理学部門 生物物理工学研究室

生命と水との関係を探る


南極の氷に巡り合って


 地学が好きで北海道大学へ入学したのですが、周りからの勧めもあり、理学部ではなく工学部に進学しました。ところが、進学した先の応用物理学科の中に南極の氷を研究する先生がおられ、強く惹かれました。幸いにもその研究室に配属され、南極の氷の中の太古の空気を貯蔵している水和物結晶というものを研究テーマにすることができました。この結晶は、当時研究する人がほとんどおらず、光学顕微鏡ひとつで手探りの研究を始めたのですが、その美しさと神秘さに魅せられ研究者を志しました。当時はバブル期で就職先は売り手市場だったため、博士課程に進学すること自体決断が必要でしたが、覚悟を決めるに十分な研究対象でした。幸い修了時に博士研究員に採用されたため、研究者となることを決めました。ちなみに「南極の氷」にたどり着くまでの話は、以下に詳しく載っています。
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/hletter/hletter13.pdf


氷からメタンハイドレート、そして生物へ


 博士研究員として、工業技術院北海道工業開発試験所(現:(独)産業技術総合研究所北海道センター)において、CO2 の海洋貯留の研究に従事しました。これは海底にCO2 の水和物結晶を生成して大気から隔離する、という技術開発に関する研究でした。その後同所に職員として採用され、海底に存在するもう一つの水和物結晶、メタンハイドレート(図1)の研究開発に携わりました。当時はメタンハイドレートの知名度は低く、研究者も多くはありませんでした。しかし大学で同じような環境下で研究を続けていたため、軸足をぶらさず研究を進めることができました。メタンハイドレートは人間の生活環境より低温・高圧で、安定
な物質であるため、その物性を測定する技術が開発されていませんでした。幸いにも産総研は大学に比べると多くの設備が整っていたので、メタンハイドレートの物性を測るための様々な測定技術を工夫して身につけることができました。
 その後、生化学の研究室から、「新しく不凍タンパク質の研究を始めるために氷の結晶成長について手伝ってほしい。」と声を掛けられ、二つ返事で始めたのが生物に関する研究の始まりでした。メタンハイドレートの研究で培った低温での測定技術が、ここで活かされました。個人的には、地学→物理→化学→生物と全分野にわたって研究が移り変わりましたが、研究対象はすべて氷や水、すなわちH2O という物質で一貫していました。逆に、「水」は全てのサイエンスの分野に関連する学際的研究対象であるといえます。

生命と水との関係を探る


 その後、産総研から現在の研究室に異動しました。工学部の中でも理学的な色合いの強い部門ですが、その中で私のいる研究室は生物の基本単位である細胞を研究対象とする異色なところです。生物活動を物理的な視点から研究するという学際的分野であることから、スタッフや研究員も様々な研究背景を持っていて、国内外の企業・研究機関との研究協力も活発に行っています。その中で私は、これまで専門としてきた水の物性研究という立場から「生命と水」に関する研究に従事しています。細胞はその約70%が水であると言われています。また細胞の外側も、様々な物質を含んだ水が存在しています。つまり細胞は、水を利用して様々な活動をしています。水は非常に特殊な物性を有していますが、生物はその特性を巧みに利用しています。私たちは、逆にその物性を制御することで生命活動を制御できるのではないかと考え、研究を行っています。
 生命活動を制御する方法の一つに、凍結保存があります。細胞を凍結保存するときに、細胞内外の水が氷に変化します。氷は水より10%近く体積が大きくなりますから、細胞内では膨張し細胞外からは細胞を押しつぶします。こうした力学的損傷の他、水中に溶けていた物質が氷の成長とともに濃縮されることによる化学的損傷も受けます(図2)。これらの凍結に伴う損傷を防ぐために、「凍結保護剤」という物質を添加します。グリセリンなどの化学物質の他、耐凍性のある生物が利用しているスクロースやトレハロースなどの天然物質が凍結保護剤として知られています。私たちはこうした物質が氷の生成を抑制する機構を明らかにすることで、凍結保存が困難であるとされている細胞もその機能を維持したまま凍結保存する技術の開発を目指しています。


図2:凍結による細胞損傷機構

 また凍結保護剤を使わずに、温度を下げたりガスを印加したりして細胞活動を制御する研究も進めています。低温・高圧でガスと作用させる、すなわち水和物結晶の技術です。細胞活動と水和物結晶との間にどんな関係があるか不思議に思われるかもしれませんが、実は全身麻酔の原因ではないかと考えられているのです。全身麻酔は手術で不可欠な技術ですが、それがどのようにして引き起こされるかはまだはっきりとはわかっていません。私たちは、神経細胞を使った実験でその謎に挑戦しています。

H2O を科学する


 水とガスとの相互作用ということから、気泡に関する研究も行っています。最近注目されているマイクロバブル・ナノバブルは、動植物の育成促進、汚水浄化、化学反応の促進など、様々な分野で効果が報告されています。しかしこれらも気泡の発生量の制御やその寿命など、科学的には未解明な部分が多く残されています。私たちは、凍結割断レプリカ法という手法を用い、水溶液の “ある一瞬”を切り取り、電子顕微鏡で観察しています。図3 は工業用排水を浄化するためにナノバブルを利用しているプラントから採取した試料のレプリカ像ですが、ナノバブルがその表面に不純物を吸着させている姿を初めて捉えたものです。現在、気泡の発生量や寿命を制御する要因について、検討を進めています。
 このように、すでに産業界で利用されていてもその機構がいまだに明らかになっていない技術があります。特に水に関連した技術は、科学に先行して使われている例が多くあります。こうした「古くて新しい課題」が一歩進めば、新しい産業に直結する可能性が高いと考えています。H2O 自身、あるいは生命と水との関係を明らかにするという研究は、非常に基礎的で地味ではありますが、こうした研究が大学の担うべき研究分野であると考え、幅広い応用技術を念頭に置きながら研究を進めています。

参考

・研究室URL:http://labs.eng.hokudai.ac.jp/labo/BioPhysics/jpn/index.php
・細胞凍結保存に関する論文:(DOI: 10.5772/29694)Uchida, T., Takeya, S., Nagayama,
M. Gohara, K., Crystal Growth, Book 2, InTech, Chap. 9, 203-224, 2012.
・麻酔効果に関する論文:(DOI: 10.1016/j.neuroscience.2012.03.063)Uchida, T., Suzuki,
S., Hirano, Y., Ito, D., Nagayama, M., Gohara, K., Neuroscience, 214, 149-158, 2012.
・ナノバブルに関する論文:(DOI: 10.1186/1556-276X-6-295)Uchida, T., Oshita, S.,
Ohmori, M., Tsuno, T., Soejima, K., Shinozaki, S., Take, Y., Mitsuta, K., Nanoscale
Research Letters, 6, 295, 2011.
北海道大学 TLO通信 創業デスク 北海道大学研究シーズ集 vol.4
食科学プラットフォーム 北海道大学URAステーション 北海道大学 研究者総覧 onちゃん北大事務局